人命軽視! 宜野湾市長時代に「反基地」優先で米軍病院への給水を拒否!
市民生活よりも反基地活動! 失われた市民のお金
平成12年、当時の宜野湾市長は「苦渋の決断」として北谷町キャンプ桑江の米海軍病院の普天間のキャンプ瑞慶覧移設を受け入れましたが、その後、平成15年4月の市長選挙で海軍病院建設に反対をしている伊波洋一氏が宜野湾市長に当選しました。
これにより、平成12年の宜野湾市の海軍病院受け入れを受けてキャンプ瑞慶覧移設をすすめていた那覇防衛施設局は、平成16年と平成20年に宜野湾市に、海軍病院へ水道接続(水道の供給)の依頼をしましたが、何も伊波市長の「政治的な判断」により拒否されてしまいます。海軍病院周辺施設を含めて年間の水道料金2,700万円余りの収入を得られずに、宜野湾市と市民が不利益を被りました。宜野湾市にはSACO交付金も米軍再編交付金もないため、海軍病院への水道接続は市の貴重な財源となるはずでした。(参考リンク:市議会議事録)
挙句の果てに開き直り! 伊波洋一氏の呆れた「言い訳」
伊波洋一氏は、平成22年3月定例会での呉屋等議員からの「なぜ水道接続を断ったのか?」という質問に市長として「基本的に防衛施設、国のほうから給水の申請をしているわけではございません」と答弁しています。
しかし、申請をする前段階にあたる口頭依頼、つまり「打診」を市長判断で断っており、国から正式な申請がなかったのは当然であり、事実上、伊波氏が市長判断で水道の給水を断ったとことに変わりはありません。
伊波洋一氏は海軍病院の建設について「本来この旧集落地というのは大変由緒ある地域でありますので、これは全域が埋蔵文化財地域であります。不適であると、ここに海軍病院を建設するのは不適であると、こういうことを申し上げてお断りをいたしました。ですから、当然水道もお断りをいたしました」と答弁しています。
しかも、最後には開き直って
「海兵隊の移転の問題、いろいろ全体として普天間を継続させるのかどうかという問題が日米間で協議されておりますけれども、当然沖縄から基地がなくなれば海軍病院もなくなる、要らないわけですから、そういうことを考えますと、私たちとしましては、やはり議員おっしゃるような2千何百万円かの水道収益を理由にそれを残すとか、そういったことは考えておりません」
と答弁しており、市長という立場ながら、市の収益より自身の政治理念を優先したことを明らかにしています。
これに対して、呉屋等議員は、
「市長、本員が申し上げていることと論点をすりかえていただいては困るのです。この沖縄防衛局も、平成16年だけの話をしているのではないのです。16年にやって、19年にやって、そして最終的に20年6月に断ったのです。これが決定的だったです。20年というのは、本員も19年3月から、埋蔵文化財調査に合わせたこの海軍病院の建設は、市長と何度も議論してまいりました。その20年6月の前の3月議会でも、市長は、これは試掘調査でもやります、県の埋蔵文化財センターも記録保存になるのでやります、建設関係の185億円の建設をし、市長がおっしゃることの本意もわかります。ただ、それが反対だけして何も実をとらなくていいのですかという話をずっとしてまいりました。16年、19年、20年と国も粘り強く、宜野湾市のほうに迷惑をかけた分は、少しは何とか経済的な効果をもたらそうということで国も粘ってきたのですけれども、20年6月に市長が切ったのです。
本員が言っているのは、建設はとまるのですかと言ったら、とまらないですよ。だって、県のほうも、市の教育委員会も、建設の確認済書も全部おりているのですよ。市長が反対するのはいいですよ、政治家ですから。ただ、反対だからといって、水道までとめる必要はなかったのではないでしょうか。」
と至極当然の話をされおります。
「基地をなくす」という政治目標を目指すことは伊波洋一氏の考えであり、結構なことだと思いますが、現実的に建設しており、市の収入が期待できる施設の水道設備を整備しないのは、現実を無視した暴挙に他なりません。
残念ながら伊波洋一氏は、ご立派な政治的理想に対して、現実的な政治手腕が全く追いついていないといえるのではないでしょうか。
このような人物に、沖縄の未来を託すことはできません。